15〜16世紀に全国で踊られた芸能。芸態は、風流拍子物の造り物を中心の「中踊り」に取り入れ、外側には「側踊り」(がわおどり)と呼ぶ輪踊りを伴った。お盆に踊られるため、事実上の「盆踊り」であったといえる。ただし当時は「盆の躍り」「盆の風流」などと呼ばれており、「風流踊り」「盆踊り」とは呼ばれていなかった。16世紀には、風流踊りは京都で盛んに催行される。特に経済力を蓄えて勃興した京の「町衆」が風流踊りの大きな担い手となった。豊後大友氏、阿波三好氏など有力な戦国大名が風流踊りを城下に招聘し、地方への風流踊り伝播に一役買った。風流踊りは安土桃山時代にいよいよ盛んになり、その様子はいくつかの「洛中洛外図」にいきいきと描かれている。豊臣秀吉の追悼となる豊国廟祭礼の際にピークを迎え、江戸時代になると衰えた。(http://www.weblio.jp/content/風流踊り) 風流 - Wikipedia も参照のこと。