官寺(かんじ)とは、国家の監督を受ける代わりにその経済的保障を受けていた寺院のこと。寺格の一つ。広義では、朝廷または国衙が伽藍の造営・維持のための費用その他を拠出している寺院を指し、狭義では食封や墾田保有権(荘園私有の権利)を国家から与えられて、運営が行われている寺院のことを指す。
「紺屋」は中世に「紺掻き」と言われた藍染専門の職人を呼んだものだが、非常に繁盛したため江戸時代には染物屋の代名詞となった。
僧堂(そうどう)は仏教の寺院内にある建物の1つで、修行者(僧侶)が集団生活を行いながら仏道修行に励む場である。雲水(僧侶)が集まることから雲堂、修行者の中から仏が選ばれることから選仏場ともいう。特に禅宗寺院に多く設置されている。
中世におこった名称で,国衙(こくが)を中心に都市化した国府の所在地の呼称。のちに城下町となり繁栄した駿河(するが)府中すなわち駿府(すんぷ)(静岡市),甲斐(かい)府中(甲府市)が特に有名で,他に武蔵(むさし)府中(東京都府中市),備後(びんご)府中(広島県府中市),安芸(あき)府中(広島県府中町),越前府中(福井県越前市武生)などに地名として残る。(http://kotobank.jp/word/府中)
遠江 → 遠江国(とおとうみのくに)は、かつて日本の地方行政区分だった令制国の一つで、東海道に位置する。現在の静岡県の大井川の西部に当たる。かつて、大井川の河口は現在より東だったため、現在の焼津市の旧大井川町域も大井川の右岸で、明治初期まで遠江国榛原郡(はいばらのこほり)であった。遠州(えんしゅう)とも呼ばれ、現在もしばしば用いられる。室町時代は斯波氏が支配。その後、戦国時代に入り駿河の今川が併呑し領国化。
駿河 → 駿河国(するがのくに)は、かつて日本の地方行政区分だった国の一つで、東海道に位置する。現在の静岡県の大井川の左岸で中部と北東部に当たる。駿州(すんしゅう)と呼ぶこともある。『延喜式』での格は上国、中国。戦国時代には、今川氏の地盤となる。義元の時代には、駿府(静岡市)には、戦乱を逃れた京の都の公家や文化人が転入し「東(国)の都」、或いは「東(国)の京」、と呼ばれる繁盛を見せた。義元が桶狭間の戦いで戦死すると、武田信玄や徳川家康の統治下に置かれた。(駿府の今川館は、家康の時代に駿府城として改修された。1590年に家康が駿府から江戸に移ると、中村一氏が入った。)
相模国(さがみのくに)は、かつて日本の地方行政区分だった令制国の一つで、東海道に位置する。別称は相州(そうしゅう)。現在の神奈川県の北東部を除く大部分にあたる。延喜式での格は上国、遠国。北は武蔵国、西は甲斐国、駿河国、南は伊豆国と境していた。
甲斐国(かいのくに)は、かつて日本の地方行政区分だった国の一つで、東海道に位置する。現在の山梨県にあたる。甲州(こうしゅう)と呼ぶこともある。『延喜式』での格は上国、中国。